噛む飼い犬より噛まない狛犬

このごろは飼い犬とも仲がいいよ

こま文ひと片

泉鏡花の文章で、狛犬を描写したものがあったので、抜粋。

(略)案内者の横面へ、出崎の巌をきざんだような、径へ出張った石段から、 馬の顔がヌッと出た、大きな洋犬(かめ)だ。長啄能猟(ちょうたくよくりょうす)――パンパンと厚皮な鼻が、鼻へぶつかったから、

「ワッ」

 といった。――石垣から蟒(うわばみ)が出たと思ったそうである。

 犬嫌いな事に掛けては、殆ど病的で、一つはそれがために連立ってもらった、浪人の剣客がその狼狽えかただから、胆を冷やしてにげた。

 またいた――再び吃驚したのは三角をさかさな顔が、正面に蟠踞(はんきょ)したのである。こま狗の焼けたのらしい。が、角の折れた牛、鼻の砕けた猪、はたスフィンクスの如き異形な石が、他に塁々としてうずたかい。

岩波文庫『鏡花紀行文集』より「深川浅景」)

 禿頭の「案内者」と鏡花が連れだって、雨でぬかるむ深川あたりをぶらぶらしているところ。

関東大震災で焼けてしまった深川冬木の弁天堂をおとずれ、こま狗にであう場面だ。

ちなみに洋犬=かめについては、別の本で種村季弘さんがこう註している。

「英米人が犬にcomeと呼びかけていたところから洋犬をこう呼んだ」。まじか。

ちくま文庫泉鏡花集成4』より「悪獣篇」註)

 

実家のかめは、こんなかんじ。どう工夫しても、黒いかたまりにしか写らないトイプードルだ。

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かなりの凶犬で、家族みな傷を負わされているので、まさに「噛め」ね。(これおやじギャグかな) 

 

「深川浅景」は他愛ない会話がだらだらつづくのが面白い一篇。

ぬかるみに足をとられないよう、「それ又水たまりでござる」「如何にも沼にて候」とひょうきんな掛けあいからはじまる。

河童がいたずらをしていますよと言う案内者に、「これ、芥川さんに聞こえるよ」とたしなめる鏡花。

銀杏を見たいが横綱力士碑がじゃまだと言う案内者に、「相撲贔屓が聞くと撲るからおよし」とつっこむ鏡花。

そして、腹を抱えながら読んだのがこの一節。

 丁ど三時半であった。まだ昼飯(おひる)を済ましていない。お小やすみかたがた立寄ったのが……門前の、宮川か、いいえ、木場の、きん稲か、いいえ、鳥の、初音か、いいえ。何処だい! ええ、然う大きな声を出しては空腹(すきばら)にこたえる、何処といい立てる程のこともない、その辺の、そ…ば…や……です。あ、あ。

歩きまわってくたびれたあとに、ようやく入るのは、鏡花が期待する品のいい料亭ではなくいかにも庶民的な蕎麦屋なのだ。

蕎麦屋に入ると、威勢のよい先客が酔って鼻血をしたたらせ、蕎麦も天麩羅も真っ赤になってしまう。

鏡花は茶目っ気のある文章もよく書いているので、ますます惚れてしまうよ。