201406-2
さて、凝る性格である。
知らない土地ではかならず狛犬がきになるし、同じ曲をくりかえし聴いて長年にわたり飽きることはない。
すきな小説に出会えば、その作家の作品をたてつづけに読みこむし、1冊をなんども読みかえす。
とにかく凝る。
聖地巡礼という観光が流行ってひさしい。
アニメや映画などのモデル地へ行ってキャッキャするという、アレだ。
わたしのばあい、それが「狛犬×小説」になるというのは誰の目にも明らかなんである。
せんじつアップした記事でご紹介した、泉鏡花「深川浅景」。
ちゃんと現地の狛犬をチェックしに行ったんである。
まずは川をわたる。小名木川という。橋には「かつて材木問屋がならんでいた」と刻まれている。
そうだ、鏡花はこう書いていた。河岸で材木の上げ下ろしをみる場面。
……五流六流(いつながれむながれ)、ひらひらと翻ると、河岸に、ひしひしとつけた船から、印袢纏の威勢の好いのが、割板丸角なんぞ引かついで、ずしずし段々を渡って通る。……時間だと見え、揃って揚荷で、それが歩板(あゆみいた)を踏み越すにつれ、おもみを刎ね返して――川筋を横にずっと見通しの船ばたは、汐の寄るが如く、ゆらゆらと皆ゆれた。……深川の水は、はじめて動いた。……人が波を立てたように。――
とくに、青字にした文章! なんとうつくしいのだろう! 骨抜きにされっちまう。
つぎに冬木弁天堂へ。せんじつの記事で引用したところだ。
鏡花が訪れたさいは、関東大震災で焼けてしまったのでこのありさま。
つくろった石の段々の上の白い丘は、堀を三方に取廻した冬木の弁財天の境内であった。
震災が大正12年、「深川浅景」の連載が昭和2年、弁天堂の再建が昭和28年だそうだ。
いりぐちの狛犬は、あたらしい。(爪ながいね)
弁天堂はとてもせまい。びっくりした。
お堂と塀のあいだ、ほんのわずかなすきまに、もう1対の狛犬がいる。
ずいぶん古い。もしかしてこれが、れいの「三角をさかさな顔が、正面に蟠踞(はんきょ)した」という、アレであろうか。
2匹とも、片手をコンクリートで補修されている。
焼けている……のか、経年劣化なのか、わたしのシロート目では判断できない。
彫られた文字も薄いわ、わたしの体勢もキツイわで、読みとれなかった。残念。
いつかだれかに訊いてみたいな。
さて鏡花たちは、つぎの場所へ。
2階づくりに三味線の長唄がひびく通りを抜け、焼け野原を抜け、
川で少女がひらりと舟に飛びのるさまを、長々と幻想的に描写する。……最後には、彼女は夢であったのか、などというもんだから、いつもの鏡花節である。
そしてたどりつく、富岡八幡宮。かれはここでも、古巫女のようなふしぎな女とであう。
鳥居も潜(くぐ)らず、片檐(かたのき)の暗い処を、蜘蛛の巣のように――衣(き)ものの薄さに、身の皺を、次第に、板羽目へ掛けて、奥深く境内へ消えて行く。
蜘蛛の巣と、衣の薄さ、そして身の皺、これらをすべて重ねるなんて、鏡花はどんな眼をもっているんだ。すごすぎる。なお、檐(のき)=軒という意味だそう。
ここはたくさんの狛犬がいた、なんと6対。残念ながら、鏡花による記述はない。
個性的なものだけ、選りすぐってお届けします。
どん。
かれらは、なかなか大きい。本殿の前に陣どっている。顔のインパクトと脚のみじかさよ。
大きい狛犬は、なべて個性のつよい見た目をしているとおもう。いずれ、巨大狛犬特集などやってみたい。
ゾンビ狛犬もおわした。(ズギャーンという効果音が、脳内にひびく。)
脚がめずらしい。かたちも、色合いも、うっとりする。
あとは精緻な毛並のもちぬし。いまにもとびかかりそうに、岩場でがッくと、この構えもよいねえ。
おしりが、ぷりっとしている。
む、ながくなってきた、そろそろおいとませねば。
この記事を書くため、この周辺の川や橋についてずいぶん調べた。
ネットで検索していたら、「深川浅景」たどりをしているひとが他にもいて、おどろいた。
(狛犬ではなく、川や橋、食べ物メインだったけど。ホッ。)
あと、関東大震災の復興事業の一環として「復興橋梁」がかけられたそうで、その現況を調べてアップしているひともいた。
「深川浅景」に登場する橋も、いくつかは復興橋梁だったようだ。
ううん、ひとの興味って、奥深いなあ。
Jeff Buckley:Grace(1994)
凝るといえば、ジェフ・バックリィを知ったときの、のめりこみようはすごかった。
憑かれたようにくりかえし聴いた。
かれに、(かってに)シンパシーをかんじていたんである。