201408 -2
心待ちにしていた映画、『消えた画 クメール・ルージュの真実』の公開がはじまった。
クメール・ルージュの粛清により、みずからも家族を失ったリティ・パニュ監督。
13歳でフランスに亡命したのち、映画監督になり、クメール・ルージュにかんする映画を撮りつづけている。
ドキュメンタリー、フィクション、さまざまな表現方法を模索するなか、この『消えた画』でたどりついたのは、すべてのひとを土人形であらわすこと。
監督自身の人生を、土人形に託し、再現する映画だ。
この映画でもっとも印象に残ったのは、「言葉による葬儀」。
占領下のある深夜、監督の父親が亡くなる。早朝には支配者の指示で遺体が森に捨てられる。
その日の夜、母親が息子たちをあつめ、父親の葬儀を「言葉のみで」執り行うのだ。
それは、あるべき葬儀のかたちを語ること。父親とおなじりっぱな教育者たちが列席し、静寂と伝統のなかで父を葬る。母の語りのなかでは、かれの遺体は森に捨てられず、荘厳な埋葬こそが真正になる。
その場面が胸に迫った。
リティ・パニュは、映画を撮ることで、みずからの人生を問いつづけている。
大切なひとを亡くして49日が経とうとしているいま、自分をとりまく関係性や自分自身の行動、感情、それらの変化、すべてにとまどってしょうがないこの時に、この映画を観られてよかったと心からおもった。
もちろん、映画館のちかくにある神社で狛犬と会うことも、忘れなかった!
本殿のまえに2対が澄ましておわす。
左側!
右側!
解説をいたしますと、手前の1対は、阿形が古く吽形が新しい。
(いぜんあった吽形が、破損したかなにかで、新しいものに置きかえられたのだろう!)
吽形は、いかにも昭和につくられました、というアリガチな見た目だけれど、
阿形は風雨にけずられ凄味がでている。あと1歩で百鬼夜行に仲間入りできそうだな。
あー! 後ろの狛犬が食べられてしまいそう!(というアングルを求めて、にやにや撮影していた。)
奥の1対もクローズアップ。
こういう顔のタイプを、「マリオ犬」と呼んでいる。この鼻、この髭、マリオしか連想できない。
こちらはお花を咥えて優雅だ。サニーレタスにみえてしまうけど、これは牡丹。
狛犬と牡丹は切っても切れぬ仲のようで、台座にもよく彫られているし、こうして咥えているヤツもしばしば。
なぜ牡丹なのかは諸説あるようだから、いまは深くかんがえず「まったくキザなヤローだ!」と楽しむことにしている。
こういうの、タキシード仮面犬とでも呼ぼうかしら。
さて、本殿のかげに隠れた分社には、お歯黒みたいな狛犬がいた。
うんうん、こういう女性、描かれていそう。月岡芳年の『風俗三十二相』あたり。
いやはや、百鬼夜行にはじまり、マリオ犬、タキシード仮面犬、お歯黒など、さまざまにイメージで遊ばせてくれるよき神社でした。
■愛知県 千種区 高牟神社
The Kinks:Set Me Free(1965)