欠け
今回はとくに、身体が欠けてしまった狛犬をまとめてみます!
神社で行きあうと、なかなかどうして、目を奪われる。
薄暗い神社の、ひっそりした片隅で、
ごっそり顔が落ちている。いちど、首もとれてしまったようだ。
こちらも、ごっそりと。足許にはきつねさんたち。さみしくないね。
かろうじて残った目が、らんらんとしている。
こういうのをみていると、高校の現代文で読んだ、ミロのヴィーナスの話を思いだす。
清岡卓行の第二評論集『手の変幻』に収められている『ミロのヴィーナス』。
ミロのヴィーナスの魅惑はその手の失われているところにあり、それは「おびただしい夢をはらんでいる無」で、対極には「限定されてあるところのなんらかの有」がある。
ミロのヴィーナスの手の不在から、「手というもの」の、人間存在における象徴的な意味をかんがえる。
それは「実体と象徴とのある程度の合致」であり、世界・他人・自己との「関係を媒介するもの」だ。
この評論がとても好きだったのを覚えている。流れるような文章も美しく、読みやすかった。
さて本題に戻って、打ち棄てられていた狛犬たち。
この手前には、白くひかる新品の狛犬が。
あからさまな世代交代の場面。古い狛犬たちは、どこへ行くのだろう。
さいごは、もっとも印象深かったこの狛犬。
この葉はいつか、かれを埋めてしまうんだろうか。
The Beatles:Happiness Is A Warm Gun(1968)